もう3ヶ月も過ぎたのか。あっという間だったな。
そんな気持ちが頭をよぎる一方、死者の数が9238名 行方不明者が4742名(6月16日宮城県内の犠牲者。警察庁まとめ)という数字を見ると、惨劇の大きさに身がすくむ思いでいっぱいになる。 我が家は幸いにして、家も家族もさほどの被害が無い状況であった。震災のあと水道は止まることはなかったし、電気も4日の停電のあと復旧。ガスだけは市内全域で多大の影響を受け、我が家は3月31日まで止まった、それでも全体的にはライフラインの影響は少ないほうだったようだ。 多くの市民が痛感したように物資の不足。特にガソリンの入手不能による交通手段を奪われたこと。食料品を筆頭に日用用品の入手困難など、一時生活することが困難になったことはあったが、それもわずかの期間であり、今となっては懐かしさすら感じる出来事であった。(震災直後の時間の経過とライフライン復旧後の慌ただしさは言葉で表現できないほどの違いであった) しかしながら、それを感じられるのはごく一部の人間なのかもしれない。我が家は仙台港から約4kmほど離れたところにあるのだが、港の方向に1kmも近づくと光景が広がっていることをいまでも認識することができるのだ。 復興などという言葉とは程遠い現実がまだ目の前に横たわっている限り、あの悪夢は終わることなく続いているのである。 がんばろう東北、がんばろう宮城、ばんばろう仙台と声高に叫んでも、どうしようもない現実がまだまだそこにあるのだ。 今月10日の夜、仙台の町を歩いていたときの光景から・・・・。 #
by 2007sks
| 2011-06-17 00:16
| その他
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by 2007sks
| 2010-12-18 21:54
| 冬
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