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シンビジュウムの産毛

シンビジュウムの花を撮ってみました。
本当はストロボのテストが目的だったのです。
光が左から来ているので、本来は右からライトを当てるのが常識のはず。
右の上や下から当てたのだけど、さほどの効果もなく、逆にノッベラボウ写真となってしまいました。
それではと、左から光を当てたら、花の中心付近に密集する薄い毛が際立って浮き上がりました。
写真なんて、有名な先生の話より自分でやって満足するのが一番なのかもしれません。
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# by 2007sks | 2014-04-05 13:21 |

3年目の3月11日

あの震災が起きて3年目。
私たちの身の回りからはあの時の光景は姿を消してしまいました。
ただ、いえることは我が家から4km位海側に進んだところには、未だに家は一軒も無いという現実です。少々の傷跡は消すことができても、壊滅的な現場には全く手が届いていないのです。
今も雪がちらほら振っている3月11日はちょうどあの日と同じ天気です。

私の手元の写真をご覧いただきます。私の家から1kmも離れていない場所の写真です。
その先の光景はとても撮ることはできず、手持ちはありませんがこれ以上の惨状であったこと事実です。
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私が家に戻れたのが午後3時すぎ。震災発生後約15分が過ぎておりました。家の中は滅茶苦茶で手の付けれれない状況。電気もつかず4時過ぎには大粒の雪が降り出してきました。ラジオで情報を得るということすら気がつかず、転倒したり散乱した荷物を寄せて場所の確保しかできませんでした。
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その日は近所のコミュニティセンターで夜を過ごしました。余震が続く中一睡もできない夜でした。
翌朝外に出てみると、田んぼには津波の押し寄せた跡と、海岸方面で黒鉛が上がる様子が見られました。この日は1週間くらい続いたような記憶があります。
遠くからみていた知人は、我が家の方角なので当然家も焼けてしまったものと思ったと後で書かされました。

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震災から1週間後、家の中も大部片付き用事のため仙台駅まで自転車で向かいました。
帰り路裏通りを通り見た光景の一部です。

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3月末、高校時代の同級生から、別の同級生が行方不明のようだから家に行って様子を見てくれとの依頼がありました。
近いとはいえ結構な距離。再び自転車で様子を見に行きした。
マンションは2階まで浸水して、壁は亀裂が入り住むには危険すぎるとのことで娘のところに避難中との張り紙があり、無事が確認され安心しました。
この時点でも道路わきには津波で大破して車が散乱しておりました。
# by 2007sks | 2014-03-11 08:50 | その他

節句

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吊るし雛と呼びれるおひな様があちこちで見かけるようになりました。
# by 2007sks | 2014-03-05 18:58 | 伝統芸能

少しづつ再開です

調べものをしていたら、懐かしい人の名前にめぐりあいました。
相変わらず精力的にブログにいろいろ書いたいるようです。
そして、そこに書き込みしようとしても、今の自分には昔の名前も思い出せないし、そんな状態で書き込んでも相手には伝わるすべもないことに気づきました。

懐かしくexiteのブログを開いた見ると、なんと自分のそのままにブログがのこってました。
大震災の1か月まえの園芸センタ-らん展の模様から、1年後の町の様子に2年後のメモまで。
どうでもよいことだけど、やはりなんらくの形で書いておくことは大切なことだと思いました。
たとえくだらなことでも。

以前はコメント欄を閉鎖しないと変な書き込みが多くて困りました。
現状どうかはわかりませんが、少しの間解放してみます。
気づいたことがあれば書いてください。

少しづつですが私も今のことを記録していきたいと思います。
# by 2007sks | 2013-08-31 18:40 | その他

10ヶ月

あの日から10ヶ月
街の様子はすっかり元通り。
我が家も以前の生活となんなら変わらず、元通り豊かな日常をすぐすことが出来ている。
まるで、あの日というのははるか昔の夢でしかないかのように。

時が過ぎて、あの震災は1000年以上前に起きた貞観地震以来だから、しばらくはあんな災害はもうないだろうみたいな意見も聞かれるようになった。
そんな見解の根拠として記録として初めて人の目に触れたのが、前述の「3代実録の869年の定観、そして次に出てきたのが1611年の慶長津波だから、その間800年近い開があることになる。貞観津波での死者の記録が1000名、慶長津波の死者は1783名というから、当時の人口からみると、今回の犠牲者の数字とも近い数値となることであろう。
そして、導かれた結論とは、宮城県沖地震は今回の大震災で消えてなくなったのだから、次はあと1000年くらいは庫内であろうということである・。

あんな、災害は二度と来て欲しくないのは全ての人々の気持ちであるのだが、本当に800年もの間同様の災害がなかったと断言できるのだろうか。これまでも無責任な地震予想がはびこっていただけに、こと自然災害については、どんな預言者の話しも信用できるものでないことだけは確かなことである。

なにより言えることは、冒頭私を含めて生活が昔と変わらずに物質的に恵まれているなどと言いいきれるのは、ごくごく恵まれた地域の人間であり、私のところでも2kmも先に進もうなら未だに電柱は曲がったままで、地面には亀裂が走っている光景を目にすることができるし、自分の家もなくして喰うに事欠いている知人が相当数いるのが実態なのである。

あれから10ヶ月がすぎ、今日は6cmの積雪があった。明日はこの冬一番の寒さがくるとのこと。
正月気分も終わると再び辛い現実が始まる気配がするこの頃である。
# by 2007sks | 2012-01-12 00:33 | 博物館